英語と私
小学生の頃から、英語にとても興味があった。
父が学生時代に使っていたという皮の表紙のコンサイス和英辞典を貰い、
いつも持ち歩いていて、友達にたぬきは「ラクーンドッグ」って言うんだよと
教えたりしていた。
小学校4年生の夏休みに、湘南の祖父母の家に1か月ほど遊びに行った帰りに、
横須賀駅で叔母が、売店でなんでも欲しいものを買ってあげると言った時も、
英字新聞をねだった。母も叔母も売店のおばさんにも、子供がそんなもの買っても
しょうがないから、弟みたいにコインチョコレートにしなさいと口を揃えて
説得されたが、どうしても英字新聞が欲しかった。
少女雑誌のグラビアなどで、真っ赤なガーベラの花束が英字新聞で包まれていたり、
雑貨の小道具として使われているのを見て、とても素敵だと憧れていたのだ。
読めなくっても、眺めているだけでワクワクして、幸せな気分になった。
その頃愛読していた少女漫画も、ロンドンやアメリカが舞台のものが多くて、
頭の中は妄想で一杯だった。
中学1年の夏休みに私の人生が決まった。
当時人気だったアメリカ人のポップスターのBobby Shermanに夢中になったのだ。
私の毎日は彼を中心に動き出した。朝、太陽を見ても嬉しくて涙がでちゃう。
彼も同じ太陽を見てるんだって感激して。12歳の私はミーハーがさく裂してた。
彼が喋っている英語は、それはもう全身全霊をかけて勉強した。
ラジオ講座を毎日欠かさずに聴き、バスで遠くの塾にも通った。
学校が終わると部活はパスして、全速力で走って帰宅して、Bobbyのレコードを
繰り返し聴いた。彼のレコードには歌詞の翻訳がついていなかった。
辞書で必死に調べても、意味不明なものが多かったが、英語の授業を受ける度に
パズルのピースがはまってゆくように、意味が分かってくるのが楽しくて堪らなかった。
それでも意味が分からない歌詞が多かったが、英語の発音にうっとり聞き入っていた。
私が高校生になる頃には、Bobby Shermanの人気はなくなっていて、雑誌にも載らなく
なり、田舎住まいの私には彼の情報は全く入ってこなくなった。ある日立ち読みした
音楽雑誌で、彼が実は何年も前に秘密結婚しており、子供もいる事を知って愕然とした。
年齢もかなりサバを読んでいたことも分かった。
それから数十年後、インターネットでアメリカの彼の公式のファンサイトを見つけ、
復刻版のCDを入手したある夏の日、届いたCDを早速、夕食の支度をしながら聴いた。
素麺を茹でながら、涙が溢れた。魔法がとけたように、歌詞の意味が全部分かった。
タイムマシンで中学生の私のところへ行き、教えてやりたかった。
そして思った。これが私の原点なんだと。
Bobbyの歌の歌詞の意味が知りたくて、私はあんなに必死に英語を勉強してたんだ。
そんな訳で、Bobbyの綺麗な青い瞳が大好きたっだ私の夫の瞳も青である。
そして今日は、私が19歳で初めて夫に会った日です。