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父の言葉

2016年05月15日(日)10:47 PM

最近、十年近く前に字幕翻訳をした太平洋戦争末期に松竹で 制作された
『桃太郎 海の神兵』が、デジタル修復されて、 カンヌ国際映画祭で
上映されるとの事で字幕をチェックし、 イマジカで行われた初号の
試写会にも行って来ました。
日本を代表するアニメーション映画の傑作として、評価が高く
若き日の手塚治虫が、アニメーション作家になる切っ掛けになった
ほど感動した作品だそうです。
でも、戦時中に海軍からの依頼で制作された戦争推進の国策を広める
ための映画ですから、「八紘一宇」の「鬼畜米英」の思想にまみれた
物語展開で、当時の少年少女の健気さが悲しくも感じられます。
戦争末期に志願兵になった軍国少年だった父を思わずには
いられませんでした。

最近、NHKBSの「植物男子ベランダー」にハマっております。
連休中には、見逃していたシーズン1と2の動画をインターネットで
まとめて観ました。その中の「俺の伯父さん」のエピソードには
感動して泣いてしまいました。伯父さんが、いい加減に植物を
世話しては、枯らしてしまったりする「俺」に言う台詞が、
大学生だった頃に、父が私に言った言葉と同じだったからです。
夏休みで実家に帰省中だった私は、アメリカに出張中だった後の夫が
飼っていたシェパードの餌やりを1日だけ頼まれていて、その日は
予定より早く上京して、国分寺の彼の家まで餌をやりに行く予定でした。
でも遅く起きて、ぐずぐずしているうちに面倒になり、
一日くらい 餌をやらなくても良いではないかと思った訳です。
でもそれを聞いた父は、許しませんでした。
動物にとって飼い主は神も同然、生かすも殺すもどんな目に合わすのも
飼い主次第。動物の命を神から預かっているのだから、大切にしなければ
ならない。たとえ一日でも餌をやらないなんて事は、許されない。
という訳で、それから汽車に乗り、上野駅から国分寺に着いたのは
暗くなってから。喜んで尻尾を振る犬を悔し紛れに叩いても、
図体のデカい奴は、撫でられたくらいにしか感じないのが何とも。
獣医だった父は、55歳の若さで心臓の大動脈瘤破裂で亡くなりました。
父の享年を過ぎて私は、真面目で努力家だった父を目標に
日々を生きています。



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